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痔瘻物語(闘病記 )−肛門周囲膿瘍編−

平成11年2月14日(日曜日) 今日は、朝からN社で、日本からの寄書の内容について事前確認を行った。 午後は、ニースに移動する予定である。 朝から肛門に違和感がある。これは、無視できない。幸い痛くは無い。悪化しなければ良いが。 その日の夜にニースに着く。ホテルは、アンティーブ。地中海に面した静かな田舎町だ。 ニースからはレンタカーでアンティーブに向かったが、途中、道に迷ったりして結局PM11時位の チェックインとなってしまった。ホテルは、海に面した小さなホテル。家族で経営している様だ。 その日も、疲れと時差ぼけですぐ寝てしまった。

平成11年2月15日(月曜日) 今日は、会合開始初日だ。会合は、月曜日〜金曜日まで続く。寄書発表は、火曜日以降になる予定だ。 朝から肛門の違和感が何となく鈍痛に変わってきた様な気がした。自分では、否定したい。 会合が始まるが、耳に入らない。肛門の痛みが確実な物になってきたからだ。これは、まずい。 最悪だ。明日は寄書発表だ。色々な判断ミスを後悔する。 @出張した事。 A機内で図に乗って酒を飲んだ事。(これが、痛みを誘発した可能性が有ると、その時は思った。) Bパリからニースに来た事。(パリには、日本人医者がいるがニースには英語を話す人すらあまりいない。) 昼食となった時点で、事態は最悪となった。痛くて歩けないのだ。更に左足のリンパ腺が腫れ出したのだ。 一歩一歩痛みをこらえて食堂まで歩く。食事など食った気がしない。あぶら汗で額がべた付いている。 限界を感じて、上司に相談。「しょうがね〜な!」とブツブツ言っているが、額のあぶら汗が目に留まった のだろう。状況が伝わったと見える。急に心配顔になった。すぐ医者に行く事を上司に告げる。 寄書の事が心配だが、そんな事は言ってられない。 この時点で不安な点がいくつかあった。 @誰に医者を紹介してもらったら良いか? A医者は、英語が話せるか? B「肛門周囲膿瘍」,「痔瘻」って英語でなんて言うんだろう。(持っていた小型辞書には、載ってない。) C手持ちのフランが無い。(医者は、アメリカの様にカード払いできるのだろうか?) まず、会合会場であるホテルのコンシェルジェにて、タクシーを廻してもらう。コンシェルジェに事情を 説明した。色々と医者について調べてもらったが、結局タクシーの運転手が医者については一番知っている との事でタクシーの運転手に聞く事となった。しかし、車を出してもらって初めて失敗に気がついた。 運転手は英語を話さないのだ。 しかたがないので医者は、ホテルに帰ってから考える事とする。しかしホテルに帰る前にする事が1つある。 金の両替だ。運転手に対して、BNP(フランスの国営銀行)を連発しUSドルを見せて 両替の意思を伝える。これは、うまくいった。やっとBNPについた。 また別の問題だ。銀行が閉まっている。まだ、PM2時だというのに? 運転手は、親切にも廻りの人に理由を尋ねてくれた。「カルナバール」と言いながら腕時計の12時を指す。 泣きっ面に蜂とはこの事。今日は、ニースのカーニバルの初日で銀行は半ドンである事が判った。 失望の局地である。

 

とりあえずホテルに向かう。多めのチップを払うと晩飯さえ食えない位のフランしか 残ってない。左足のリンパは更に腫れてうまく歩けない。また、ホテルのおばちゃんは全く英語が話せない。 (危うし) おばちゃんは、困り果てた私を見て、少しだけ英語を話せる息子を呼んでくれた。 その息子に「Haemorrhoids」:痔,「Pain」,「Doctor」という言葉連発した。 そこで、息子は事情が判った様で、おばあちゃんに相談する。 ここからは、話は好転する。 そこで、おばあちゃんは信じられない提案をしてきた。ホテルに医者を呼んであげるというのである。 医者が来てくれるなんて、日本の田舎だけだと思っていたのに...すぐお願いする。 また、医者代はホテルにつけてあげるとも言ってくれている。ラッキー。 次にクリアしなければならないのが、医者との会話の準備である。 当然頼りは、インターネット。10PPS(ダイヤルパルス)でパリをアクセスする。 「肛門周囲膿瘍」という言葉さえ判ればどうにかなる。Yahoo, Info seekなどで探しまくる。 なかなか判らない。翻訳するサイトなどもあるのだろが医学専門用語なので判るとは思えない。 やっとヒントを見つけた。あるサイトのソースを見たところ「肛門周囲膿瘍」に対してのページを abscess.htmlでリンクしていたのだった。しめた。次は、abscessでサーチすれば良い筈だ。 ビンゴだ。数個引っ掛かった。その中で「肛門周囲膿瘍(英名:anal abscess)」と書いてあるでは ないか。これで余裕が生まれた。 後は、発病からの症状の変化、今までの診察状況を紙に時系列に判りやすくまとめた。 これは、外国で受診する際の最良の方法と思う。(経験論) 約1時間待ったか。先生がやってきた。どきっ?! これは、また別の問題だ。 なんと、先生は、30前後のマドマーゼルなのだ。これには、参った。(羞恥心) まとめた紙を見て納得してくれた。また、非常に痛い事について深く理解(同情)してくれた。 言われる通り、振りチンとなる。激痛が続いているのでそんな事などかまっていられない。 彼女は、「我慢して!」と言って腫れた部分を強く絞り出したのだ。飛び上がる痛さだった。 瞬時にベッドに敷いた(ホテルの)タオルは、真っ赤に染まった。大量の膿を絞り出したのだ。 その作業を繰り返しているとだんだん痛みが引いて行くのが判って来た。 そうだったのか。日本で切開手術をやって以来、全く出血が無かったのは、切開部分が塞がっていて 膿がまた溜まっていたのであったのだ。それを絞って再度、開放し膿を出したのだ。 「肛門周囲膿瘍は、内部に原因がある。」と理解した事が生かされていない。自分でも出来た 手当てであった。 魔法の様に痛みが消えた。さすがドクトール・マドマーゼル。天使に見えてくる。 更に明日専門の医者に行く様にと、電話で予約をしてくれた。本当によかった。 その晩、事情を上司に説明、明日の会合出席を知らせて、ぐっすり眠る。

平成11年2月16日(火曜日) 今日は、朝から全く痛まない。違和感も無い。もう全快した気分になる。会合では、本日中に寄書発表を 行う予定となった為、会場より専門医の診察をキャンセルする。この判断には、迷わなかった。 また痛み出したら自分でも治療できるという自信があったからだ。 その日は、特に痛みも感じず無事に過ごす。出血がある。何故か出血があると安心する様になる。

平成11年2月17日〜19日(水〜金曜日) 寄書発表は、無事終了する。1日5回位のペースでティッシュを交換する。出血は、有ったり無かったりで ある。金曜日は、N社の2人を交えて、4人で打ち上げという事で近くのレストランで夕食会を開いた。 しかし、ワインを軽く一杯飲んだきりでそれ以上飲む気になれなかった。

 

 

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