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痔瘻物語(闘病記 )−肛門周囲膿瘍編−

平成11年4月3日(土曜日) いよいよ決戦の日である。まず、緊張を押さえる薬を飲み、次に下剤を1リットル飲む。 これで体の中の食べ物を全て排出するらしい。不気味な味がして1リットルを飲むのはかなりきつい。 飲み干した時は、吐き気がしてきた。なかなか、便意が無い。看護婦さんは、 更に1リットル飲みますか?と脅しにかかる。これはまずいと思い、無理やり排便した。 Sさんは、結局2リットル飲んだらしい。素直に尊敬した。

今日は、午前中が大腸検査だ。全て排出したら病衣に着替えてイザ出陣である。 看護婦さんの指示に従いパンツを脱いで診察用ベッドに横になり、背中を丸める。 先生がやってきた。何故か興味津々といった顔つきをしている。異様である。 肛門にクリーム状の物が塗られ、「じゃ、いきます。」との声と同時に何かが肛門から 入ってきた。時々痛い。内視鏡が腸のねじれを曲がる時に腸壁にぶつかるらしい。 我慢できる中位の痛さだ。「今、盲腸まで着ました。」そう言われて画面を見ると 何かが映っている。盲腸だろう。始めて自分の盲腸を見た。別に感動もしなかった。 後は、内視鏡を抜きながら画面との睨めっこである。結構きれいに映るのに驚いた。 「さて、ポリープとかあるのかなぁ〜。」ついつい自分でも探してしまう。 「ハイ、終わりました。正常です。」と言われた。とりあえず安心した。 帰りがけに腸の写真(4枚1セット)を貰った。いつの間に撮ったのか。 ピンク色や赤色が写った写真を見る気がしなかった。 その後、部屋に戻った。PM1時半頃の手術予定と言われる。Sさんは、その後の様だ。 この待つ時間が長い。高校野球が準決勝らしい。ボーッとテレビの画面を眺める。 何やら小型のベッドがいきなり病室に入ってきた。俺の番と直感する。当たりだ。 心臓が高鳴る。生まれて始めての手術だ。ベッドに乗せられ手術室に運ばれる。点滴もしている。 外見的には、いっぱしの病人だ。手術室に入る。覚悟を決める。自らリラックスする事に努める。 ところが、実際の手術室は、その中にあり順番待ちをするとの事。いっそ早くやって欲しい。 手術室からは、宇多田ヒカルのAutomaticが流れているらしい。微かに聞こえる。 まるで耳鳴りの様に聞こえる。

約10分待っただろうか。ベッドに乗った患者が出てきた。 いよいよ次は、俺である。再度、覚悟を決める。看護婦さんがやって来て、ベッドを本当の 手術室に入れる。ラジカセから宇多田ヒカルが流れていた。先生の趣味なのだろうか。 兎に角、手術台にはテレビに出ている物とそっくりのライトがぶら下がっている。緊張する。 看護婦の手を借りて手術台に移される。いよいよだ。ここまで来ると、逆に気が楽になった。 開き直りの心境か。うつ伏せになる。この体勢は結構ビビる。後ろから何かをされる のが怖いのだ。まずは腰椎麻酔の注射だ。実は、これを一番ビビっていた。痛そうなのだ。 針が入りチクッとする。その後の込み上げる様な激痛を想像していたが、実際にはそんな事は 無かった。注射が終わり、しばらくすると先生の言った通り足からビリビリとしびれて来るのが判った。 約2分後、いよいよオペが始まった

 

 

 

お尻を何かされているとの感覚はあるが全く痛みは感じない。 ただ、下っ腹に鈍痛を感じる。これも我慢できる中位の痛さだ。先生に訴えると、腸を引っ張っている からだとの事だ。いっその事、腸にも効く麻酔を打ってくれと言いたくなる。 手術中、先生と看護婦は花見の話で持ちきりだ。手馴れた手術という事か? 多分、手術はパターン化されているのだろう。全く緊張感が伝わってこない。 ここまでくるとこちらにも余裕が出来る。「はい、終わりです。」との言葉に安堵した。 上手くいったとの事でした。 後は、病室のベッドに戻される。「ご苦労様でした。」との看護婦の言葉に笑顔で答える。 帰る途中に、ベッドで運ばれるSさんとすれ違う。心配ご無用と言葉をかけるが、 Sさんの顔は引きつっていた。 病室に戻ると、ドッと深く安心する。そのせいか、すぐ眠ってしまった様だ。 4時間後位に目が覚める。下半身がまだしびれていた。更に眠った。 次に目覚めたのは、既に夜中だった。流石に麻酔は切れていた。特に痛みも無い。 看護婦が状態を確認しに来た事が断片的に思い出した。家内から電話があり 大丈夫だったと話した事も思い出した。泥酔した時の記憶の様に不確かだ。 更に又、死んだ様に眠った。

 

 

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